協力雇用主の声
網走刑務所×網走市ー地域一帯で❝居場所❞を生む、再犯防止の理想
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静岡地区協力雇用主会 網走研修レポート
研修実施日:令和6年10月15日~10月17日
静岡市葵区、駿河区の協力雇用主で構成される『静岡地区協力雇用主会』は、令和6年10月15日から17日まで、北海道網走刑務所等の視察を目的とした研修ツアーを開催しました。
参加者は、同会会長で静岡県就労支援事業者機構顧問の茶山弘氏をはじめとする23名。協力雇用主として、ともに更生保護に取り組む家族や従業員を伴っての参加もあり、親睦を深める充実のツアーとなりました。(同行取材レポート/鈴木真弓)
博物館網走監獄の正門
網走刑務所の歴史と現況
研修初日は静岡―羽田―釧路―知床と、陸路と航路の移動で終わり、研修目的地・網走刑務所には、2日目10月16日の訪問となりました。
網走刑務所、と聞くと、多くの人が任侠映画やドラマで描かれる“日本の最果ての、最も辛く厳しい刑務所”というイメージを持たれるかと思いますが、現在の網走刑務所は、総面積1,640ヘクタールの日本一広大な敷地(4キロメートル四方・東京都中野区と同面積)を有し、耕種農業のほか、日本唯一の畜産及び林業を営む開放的な刑務所。 懲役10年未満の犯罪傾向が進んだ日本人の男子受刑者を収容し、「作業」「改善指導」「教科指導」の3本柱で構成される矯正処遇を行っています。
網走刑務所は明治23年(1890)、現在地(網走市字三眺官有無番地)に、『釧路監獄署網走囚徒外役所』として開設されました。当時、ロシアから領土を狙われていた北海道の防衛のため、囚人を苦役に利用し、のちに「死の開拓道路」と呼ばれる幹線道路建設等に従事させる目的でした。開設当初は木造の塀に覆われていましたが、火事で焼失し、監獄の機能が損なわれる懸念から、あの、象徴的な赤煉瓦のブロック塀になりました。
日清戦争が終わる明治28年(1895)には、北海道全体で8,000人、網走にも1,288人の囚人がいて、三眺切通しの開削で、屈斜路湖外役所(現在の二見ヶ岡農場)も整備されました。彼らの苦役によって、多くの屯田兵や開拓民が北海道に入植し、道全体の開発を進めることが出来たのです。
明治36年(1903)には『網走監獄』、大正11年(1922)に『網走刑務所』と改称。そして昭和48年(1973)に全面改築工事が着手され、旧施設の貴重な庁舎、教誨堂、放射状舎房等は、網走市民の厚意によって『博物館・網走監獄』として移築復元されました。
現在、入所者は377名(定員1100名)。刑期10年未満の累犯者で、罪名としては、覚醒剤犯が約4割、窃盗犯が約3割と、他の刑務所とほぼ同等の状況です。
入所者の逮捕地は東京管内が77,4%を占めます。網走のような農業施設を持つ刑務所に東京から飛行機で移動・入所となると、必然的に若手受刑者が中心になる、とのことです。ちなみに377名の平均年齢は50,7歳で、最高齢は85歳です。
刑務職員は283名。夜勤4交替制で業務にあたっています。今回の研修会は、中村寛之所長自ら出迎え、最後まで立ち会ってくださいました。
旧網走監獄舎房の中央見張所
生産作業
受刑者に義務付けられた矯正処遇のうち、大きな柱となるのが作業です。
作業には、物品を生産したり労務を提供する『生産作業』、所内の食事や洗濯等を行う『自営作業』、出所後の就労に役立つ知識や技能を身に付ける『職業作業』の3つがあります。
網走刑務所の生産作業では、ニポポ人形(アイヌの小さな子どもの像)等の木工民芸品、焼肉コンロや燻製器製品等の金属品、阿寒アイヌコンサルンの協力を得たアイヌ文様シリーズの洋裁品、窯業作業では、オリジナルの氷彩貫入シリーズの三眺焼を中心とした陶芸品を制作し、いずれも網走市民や観光客等から、高い人気を誇っています。
また、二見ケ岡農場では泊込作業として、自給用の馬鈴薯や人参等の野菜類や黒毛和牛の生産をしています。黒毛和牛は飼育数70~80頭と、小規模の酪農事業者並みの生産規模で、A5ランクの認定を受けることもあるそうです。
近年は、再犯防止施策を推進するため、網走、旭川、帯広及び釧路刑務支所が連携し、一般社会に近い環境で、就農に必要な資格が取得できる取組みを実施しています。地域貢献につながる援農、出所後の就農等に結びつけられるよう、北海道東部所在刑事施設による農業モデルを実践中、とのことです。
職業訓練と改善・教科指導
入所者への一般改善指導としては、基本的な生活習慣の指導やアルコール依存回復プログラムを実施しています。また、特別な改善指導が必要な受刑者には、薬物依存回復プログラムや暴力団からの離脱支援を実施しています。
約8割が、逮捕時、無職だったという実情をふまえ、出所後の就労支援として、建設機械の操作や溶接技術、林業でのチェンソーの扱い方等、さまざまな技能と就職に役立つ資格取得を支援しています。ビジネススキルの向上として、パソコン操作や電話対応等のビジネスマナーを身に付ける職業訓練も行っています。
さらに、入所者のうち、中卒が40%、高校中退40%、高卒17%、大学・短大卒は3%という状況を鑑み、国語や算数等、基礎的学習能力の向上をはかる補修教科指導も行っています。
声掛けの大切さを実感
質疑応答の時間では、静岡の参加者から積極的な質問が寄せられました。
「現在、多くの刑務所が抱える、中卒や高校中退者の知的弱者への対策、高齢受刑者の収容施設化している現状について、どう思うか」という質問には、「低IQ者や、要介護者が一定数いることは確か。同レベルの入所者をグループ分けし、外部有識者の協力のもと、福祉との連携に注力している。現状、細く難しい道をたどっているという状態だ」との回答。
暴力団対策について、入所者から、暴力団組織を抜けたいという相談があれば、警察に連絡し、警察を通して、組織より「離脱証明」を提出させるとのことでした。
入所者には、釈放当日に、刑務所で過ごした日々について、自由に感想を書いてもらっているそうです。その日で出所するので、刑務官への世辞は無用、かつ、どんな罵詈雑言を残しても構わないわけですが、紹介していただいた感想文には、とても素直な心情がつづられていました。
「忍耐力や協調性を学んだ。自分が今までいかに周囲に無関心で無頓着だったかに気づかされた。今は、周囲に感謝と謝罪の気持ちで一杯です」
「今回で5回目。前回(4回目)のときは、父親の死に目に会えず、泣いたのに、また再犯してしまった。本当に情けない。母親のために、今度こそ立ち直りたい」
「覚醒剤で捕まって2回目の刑務所暮らし。1回目のときに比べ、面会者もなく、外から音信なし。それだけに、職員の先生方の支えが身に沁みた。暑い時期の作業に“ご苦労さん”と声掛けしてもらったことが嬉しかった」
「30年間、覚醒剤から抜けられず、5回目の入所。次は大丈夫、とは言い切れないが、このままではダメだと自覚している。少しずつでも真面目に生きようと思う」
担当刑務官は「入所者の多くは、犯罪は愚かで、刑務所なんか入りたくない、と、理解しているようです。それでも、当人のことを気に掛けてくれる人がいるかどうかが大切だ、と実感します」と、真摯に語られました。
声掛け次第で、100人のうち、1人でも再犯せずに済むなら、それを心がけたい―協力雇用主会の皆さんにも、とても響いた言葉でした。
網走刑務所の中村所長(左端)と記念撮影
網走市長を表敬訪問
研修3日目の午前中は、『博物館・網走監獄』の見学です。
大正11年(1911)に受刑者の手で築かれたという赤煉瓦造りの表門(正門)、明治末期の官庁や学校のデザインを象徴するような切妻造り洋館の旧庁舎、世界で唯一残る五翼の木造放射状舎房、入母屋式の教誨堂、旧木造・旧煉瓦造の懲罰房等、見応えたっぷりの野外復元施設を廻りました。
帰路につく前に、急遽、実現したのが、網走市長への表敬訪問です。
網走市の水谷洋一市長(61)は、静岡市の田邊前市長の大学時代の後輩という間柄で、静岡から協力雇用主会が網走入りしたと聞いて、スケジュールを割いてくださいました。水谷市長の奥様は保護司をされており、更生保護に、ひとかたならぬ関心をお持ちとのことです。
ややもすると、迷惑施設と思われがちな刑務所ですが、水谷市長は開口一番、「網走は、刑務所とともに発展した町です」と明言されました。
市長曰く、網走刑務所は、入所者約400名、職員約300名を擁する、網走市随一の“事業所”。刑務作業では、アウトドアの人気アパレル『モンベル』との包括連携協定のもと、モンベル製の手ぬぐいを制作しており、前述のニポポ人形は、網走を代表する観光土産になっています。
「二見ヶ岡農場では、一般市民が農作業を指導したり、一緒に耕作しています。網走市民マラソン大会では、入所者の皆さんが、マラソンルートの草取りを担当し、完走者に授けるメダル3000個を手作りで用意してくれます。網走刑務所のサポートがなければ、市の行事やイベントは成り立たない、と言っても過言ではありません」
昔は、市民が塀の中に入って農作業をやるなんて、想像できなかったが、新しい再犯防止法が、“刑務所も地域に役立つ施設になるように”と、法律面での立て付けを整備したおかげで、いろいろなことがやりやすくなったという水谷市長。網走市では、出国・再入国を意味する『Reエントリー事業』として、出所者の雇用や生活支援にも力を入れています。
再犯防止に最も必要とされる、社会に出た後の、元受刑者の居場所づくり・出番づくり。網走刑務所という“伝統”を、地域の未来の活力へつなげる取組みに、参加者は深く共鳴しているようでした。
網走市役所市議会議事堂で市長と面会
網走刑務所で制作したモンベルの手ぬぐい
インタビュー・文・写真/鈴木真弓
フリーライター
静岡市出身・在住
静岡県の地域産業、歴史文化等の取材執筆歴35年
得意分野は、地酒、農業、禅文化、福祉ほか